天祖神社について

御祭神

天照皇大神(アマテラスオオミカミ)伊勢神宮内宮の御祭神

御由緒

推古天皇御代、聖徳太子作のご神像を御神体として祀る

この地域は、埋め立てが進められる以前、湾の奥にあたり小島が点在する様な所でした。近所の地名に大島・京島・向島などの島の付く地名が多いのはこのせいで、そのひとつが柳島、その島の総鎮守が当社である。

そんな訳で、往年度重なる大洪水大震災、先の大戦等で、文献等流失・焼失し現在の記録、古老の言い伝えの社殿に寄れば、創建は推古天皇御代(約千四百年前)、厩戸皇子(聖徳太子)作のご神像を御神体として祀る。永享年間に社殿崩壊し、戦乱の世にて修復進まず、大永年間、下総に住む沙門良博が主人である新田義興に相談し天文十年再建が叶う。その後も安政・大正の大震災に遭い社殿が崩壊すと記録されている。

現社殿は昭和二年九月に反対意見の根強いなか造営会が組織され、翌三年六月起工、四年十二月七日竣工、日本で初めての鉄骨筋コンクリートの社殿として神社史に名を刻むことになる。

福禄寿・亀戸七福神

人望・福徳の神様

福禄寿は道教の、南極老人とされ、人々に福徳、とりわけ経済的な幸福をあたえてくれる神格で、福星・禄星・寿星の三星をそれぞれ神格化した、三体一組の神である。

太郎稲荷大神(宇迦之御魂大神)

樋口一葉の「たけくらべ」にも出てくる神社

境内に有る太郎稲荷神社は宇迦之御魂大神(伏見五祭神)を祀る。和銅4年に伏見稲荷の大神をいただいて徳川時代、筑後柳川11万9,600石の大名、立花家下屋敷(今の千束2丁目と入谷2丁目)にあった代々の守護神であったものを、江戸末期天祖神社境内に移したもの。
樋口一葉の「たけくらべ」にも出てくる神社で、主人公が太郎稲荷神社に商売繁盛の願掛けに行く場面が有名です。
落語「ぞろぞろ」で語り継がれる太郎稲荷神社としても有名なお稲荷さんんです。

東京大空襲・招魂碑

昭和二十年三月十日東京大空襲の折、東京は大火災に見舞われ氏子一帯も火の海と化しました。その際、焼失を免れた現社殿にて数百の命が助かり、町中ではその何倍もの命が失われました。
亡くなられた方々の亡骸は普門院に安置され、御魂はこの地に祀られました。十年の時を経て前一の鳥居の柱(片方)を用いて建てられたのが、この石碑です。もう一本は復興記念の碑(手水社北脇)として平和の祈りと共に再び建立されました。
現代の豊かさも、過去のこうした犠牲の上に成り立っています。我々もこのような忠実を忘れずに後世に伝え、未来の為に感謝の心と平和の祈りを絶やさずにいたいものです。